「研鑽(けんさん)」は難しい言葉ですね。それでもスポーツ関係者にとっては、無視できない事柄であることは間違いありません。

例えば、日本スポーツ協会による指導者育成の基本コンセプトの中にも表現として使われています。

公認スポーツ指導者は、日常の「生活/暮らし」にスポーツを取り入れることによって「豊かな人生」を得られることを広く一般に定着させるとともに、「仲間と楽しく行いたい」「うまくなりたい、強くなりたい」さらに「健康になりたい、長生きしたい」という欲求に応えられるよう、その実現に向けて「サポートする」活動を通して、望ましい社会の実現に貢献するという役割を持つ。また、常に自己研鑽を図り、自ら成長・発展するとともに、社会的評価が得られるよう努力することが重要である。

日本スポーツ協会公認スポーツ指導者育成の基本コンセプト

※自己研鑽とは‥‥
自分自身のスキルや能力などを鍛えて磨きをかけること。

Weblio辞書より

“鍛える”“磨く”という意味では、スポーツ関係者にしっくりくるワードです。

“研”は『石でこすってみがく。とぐ。努力して向上する。モノの道理を調べる。きわめる。』という意味。
“鑽”は『たがね。穴を開ける。物事の道理を深くきわめる。』という意味。

“道理”という智に関することもありますが、“磨く”“とぐ”“たがね”などのように動に関することもあります。
「自己研鑽」はまさしく、スポーツ関係者には必須課題と言えるのではないでしょうか!?

「自己研鑽」は難しい表現かもしれないため、私は「自己成長」というワードでも良いと考えており、頻繁に使っています。

※自己成長とは‥‥
自分で努力して成長していくこと。自ら促して成長していくこと。

Weblio辞書より

自己成長を促す

「自分を成長させたい」という意識(無意識?)は多くの方が保有していると考えています。特にスポーツに関わるアスリート(子供たちも含めて)、指導者、保護者、そして関係者は、その意識が強いことでしょう。

「もっと上手くなりたい」「強くなりたい」「レギュラーになりたい」「勝ちたい」「優勝したい」「◯◯には負けたくない」などという(年代や経験値は関係なく)自己の思いもあると同時に、周りの人から『もっと上手くなれ』『もっと強くなれ』『レギュラーを獲ってこい』『勝ってこい』『優勝してこい』『◯◯には負けるな』などと、願掛けのような言葉を頻繁に浴びせられて、努力してきた方も多いはずです。

ただ、強すぎる、あるいは偏ったそれらの意識は、稀に罠にハマってしまう危険性も垣間見れます。例えば、エゴイズム的な価値観の持ち主担ってしまう恐れです。

周囲の言葉は激励の時もあれば、圧力(プレッシャー)の時もあるでしょう。
結果的には、成長・向上は自身の事(自分事)であり、周りから何を言われようとも、自身にその気がなければその効果は現れません。

「自己成長」の自己定義がなければ、何を成長させれば良いのか、どのようにして成長すればいいのか、曖昧なまま、ただ取り組んでいる可能性もあるのではないでしょうか。

スポーツに関わる上で、「自己成長」の過程は必至です。
しかしながら、自己成長が目的ではなく、目的やゴール・目標を達成する(自己実現の)過程で「自己成長」していくと考えています。

目標・ゴールが同じ方向であっても、不思議なことに目的やビションは個々人で違ったりします。
例えば、大会優勝というゴールがチームにあっても、優勝する目的やビションは、一人ひとりの思いがあったりします。

ある日本代表チームの選手たちと個別ミーティングを行なったコーチが、『なぜココ(代表チームの合宿所)にいるのか?』の問いに対する応えを確認してみると、色々な声が聴こえてきたようです。

どちらにしても「目的意識」「ゴール志向」などが中核(コア)となり、日々の活動一つひとつこそが「自己成長」を促します。
つまり、目的意識」や「過程(プロセス)」が、「自己研鑽」に深く関与している、ということが言えます。

では、どのようにして「自己成長」していくのでしょうか?

今回は、
その過程における「自己成長の3つの方法」と「自己成長につながる3つのタイプ」について、私なりの考えをまとめてみました。

「自己成長」3つの方法

その3つとは

自然成長」「努力成長」「合体成長」と考えました。

先ず個人の「自然成長」と「努力成長」がベースとしてあり、他者とのシナジー効果によって有効化・拡張され、「合体成長」が促されます。”触発される”というニュアンスです。
ただ、その対象者によって「合体成長」の度合いは変動するもと考えられます。つまり、人間関係(環境)は成長に欠かせない要素になってきます。

「合体成長」を効果的にするために、ベースとなる「自然成長」と「努力成長」を促進させる必要があり、それらのバランスを考えていかなければなりません。

「自然成長」とは

日々の練習や試合などでの経験、体験によって成長する、いわゆる『人は何かしら成長している』という概念のものです。

同じ練習(パスやキャッチボール、素振りなど)の反復練習だとしても、熟すスピードはアップし、ミスも減っていくでしょう。成功率・精度が良くなれば、成長していると見なせます。
単純な基本練習であっても取り組み方によっては、成長度合いに大差が生じることも考えられます。

注視する点は、「自然成長」のみを強調してしまうと、人は長続きしない傾向、つまり飽きてしまいます。児童たちは特にそうです。
『とにかく続けていれば…』という教えの恐さは、ビジョンも目標もない人でも成長すると助長しているようで、時間だけが無駄に費やされる危険性もあります。また、ある程度のレベルに達した方は現状に満足(というより、大変な思いをしたくない気持ちの介在)し、上を目指すことを求めない恐れもあることでしょう。
向上心のない方、依存的な方を増やす傾向になりがちではないかと危惧しています。

自己成長させる上で、経験年数だけでは物足りない成長の方法です。

「努力成長」とは

自ら新たな領域、難題・困難などに挑戦することで成長する、いわゆる『目標や目的を定め、努力して成長している』という概念です。

基本的な練習だとしても、経験や体験を通じて改善や改良を意識し、基本動作を応用しながら、失敗しても諦めず取り組むことによって、より良い成果が生じることになります。時間を惜しまず自主練習したり、憧れのプレーヤーや見本となるプレーの動画を繰り返し観たり、関係の本を読んだりして、学校の宿題を忘れてもハードな練習は熟すタイプにかなう成長方法です。
『これなら誰にも負けない』という得意技などを身に付けた人は、良い例だと思います。

注視する点は、「努力成長」のみを強調してしまうと、自己中心になり過ぎる傾向となることも。例えば、チームより自分の成長を主に考えるパターンです。

『私が上手くならなければ、このチームは勝てない!』『こんなチームにいても俺は上手くならない!』・・・という考えの方が増えたら、チームの存続は危うくなりますし、その個人も孤立の道へ進んでいるかもしれません。
稀に「自己否定」的な意識から、さらなるレベルアップのために苦行的(修行的)生活になる傾向の方もいます。
つまり、オーバートレーニング(過剰な練習)により、故障したり、スポーツの楽しさを忘れ、早い時期にやめてしまうことも少なくないのでしょうないでしょうか。

自然成長と努力成長のバランス

「自然成長」「努力成長」はそれぞれの良さがありますので、両方のバランスが必要なことは感覚的に分かります。
どちらを優先するのかは、その時の状況、成長度合い、考え方(価値観や目的など)で変わってくるでしょう。

例えば、足が速くなりたい(速く走りたい)子どもに、『走る練習を続けていれば、身長も伸びてくるし、いつの間にか速く走れるようになるからね。』(自然成長)とアドバイスするか、『目標(期日やタイム値)を決めて、走る練習以外も筋トレや坂道ダッシュなどを含めた練習計画を立てよう。定期的に測定し、状況を見ながら計画を練り直そう。』(努力成長)とアドバイスするか‥‥ということになるのでしょうか。
スポーツを始めたばかりの児童に、努力成長のプロセスを教えるのは時期早々、という意見もあるのは当然のことです。

時間軸と成長軸でその成長度合いを可視化した時に、成長曲線が逆になるだけではないかと思うのです。

「合体成長」とは

他者と協力・共生しながら、『一人では成せないことでも相互作用で成長促進させる』概念です。つまり、相乗的(シナジー効果的)に成長していくことと言えます。

独りのみで成長するには限界もあります。仲間・チームメイトとともに練習を行うことや、時にライバル(好敵手)との切磋琢磨も相乗効果によるものです。

チームスポーツは特に、一人ではできないプレーも多々存在し、チームプレーを成功させるために自らの技術を高めることが、これに該当します。
『ワンチーム』という一致団結行為は、成長の度合いを加速させます。

アニメ「ドラゴンボール」でいうところのゴテンクスくん。いわゆる“フュージョン(融合)”でしょうか。(笑)

注視する点は、合体する自己と他者のレベルにもよるということ。互いのレベルの差がありすぎるとアナジー(負のシナジー)効果の危険性が高くなります。
上位レベルにいる側が容易にレベルを合わせられる(上下変動)スキルを備えている場合は、協力体制が保てるかもしれません。それが無いと、上意下達の関係により長続きせず、ギクシャクしてしまう可能性はあります。

互いの価値観や志向性なども踏まえなければなりませんので、関係性構築のスキルが重要になってくると言えるでしょう。

われわれは、長く生きるほどに、何とわずかなことしか知らないのか、と教えられる。
成長して年を重ねるということは面白い冒険であり、驚きにみちている。

エリク・H・エリクソン [心理学者・アイデンティティ提唱者]


自己成長につながる3つのタイプ」については、コチラです>>