同か異か
「デュアルキャリア」と「パラレル・キャリア」を同義にするかどうか悩んだあげく、直感的に区別することとしました。
辞書的な意味合いで探ると、
※デュアル(dual)とは、‥‥
goo辞書より
多く複合語の形で用い、二つの、二通りの、二重の、の意を表す。
※パラレル(parallel)とは、‥‥
goo辞書より
1)平行であること。また、そのさま。
2)電気で、並列。
3)スキーを平行にそろえて滑る技術。
別扱いしても問題なさそうです。(個人的な解釈です)
「デュアル」の二重概念は、(二つのものが)同時に存在はしているが構造的である、と捉えました。
用語として使われている“デュアル・コア”“デュアル・コイル”などのような同様のものが2つあり、処理能力などを拡張するパターンと、“デュアル・ファネル”などのように二つの取り組みを遂行し、連携(連動)させるパターンがあります。
前者をホモジニアス(=同種・同質)によるもの、後者をヘテロジニアス(=異種・異質)によるもの、とあてがっても良いかもしれません。
人で例えるなら、個人が持っている目的達成のための手段やプロセスが、2系統(以上)ある状態ではないでしょうか。
電気回路系でイメージすると、電池と2つの豆電球(あるいは電球と小型モーター)があったとして、目的を同時期に果たすため、適切につながれた状態。(もし直列の場合、豆電球が一つ切れたら、もう一つの豆電球は点灯しません。)
「パラレル」の平行概念は、(二つ以上のものが)平行・並行の状態(状況)であり構成的である、と捉えました。
用語として使われている“パラレル通信”“オープンパラレル”などのように処理効率などを高めるパターンです。
電気回路系でイメージすると、電池に並列的につながっている2つの豆電球(あるいは豆電球と小型モーター)があり、各々の機能が目的を果たします。(もし豆電球が切れても、小型モーターは稼動し続けます。)
人で例えるなら、個人のエネルギー源(体力・頭脳・時間などをエネルギー資源とした場合)で2つ以上の活動が行われている状態です。
少々強引かもしれませんが、スポーツでの例えでイメージしやすいのは、「パラレル」は“野球”、「デュアル」は“サッカー”ではないかと‥‥。
“野球”では、一人の選手は一試合の中で攻撃と守備が構成され、規則的かつ交互に行っています。(DHなら片一方=シングルです。)
“サッカー”では、一人の選手が攻撃と守備という活動(オフェンスとディフェンスのポジションではなく、処理動作)を変則的かつ能動的に行っています。(キーパーの攻撃力はハンパないです。)
発信元
スポーツ界では「デュアルキャリア」というワードが次第に浸透し、多くのアスリートや関係者、大学に向けて、その意義と具体的な活動を訴えています。
その概略や説明などを確認すると、二つに分類できそうです。
①「アスリート生活と別のビジネス生活」のダブルワーク的な意味合い。
②「アスリート生活と人としての生活」(アスリート生活と学業は、こちらに含まれる?)の人間形成的な意味合い。
つまり、①は「パラレル・キャリア」を示しており、②は「デュアルキャリア」のコンセプトとして記されています。
そもそも「パラレル・キャリア」と「デュアルキャリア」は、どこから発信され始めたのでしょうか?
先ずは「パラレル・キャリア」から。
※パラレルキャリア(parallel career)とは、‥‥
ウィキペディアより
ピーター・ドラッカー氏が著書『明日を支配するもの』等にて提唱しているこれからの社会での生き方のひとつ。現在の仕事以外の仕事を持つことや、非営利活動に参加することを指す。
ピーター・ドラッカー氏の『明日を支配するもの/21世紀のマネジメント革命』の227ページ、「第二の人生を始める方法」の一つとして記述されています。
パラレル・キャリア(第二の仕事)、すなわちもう一つの世界を持つことである。<訳>
『明日を支配するもの』P.227より
The second way to prepare for the second half of your life is to develop a parallel career.
『Classic Drucker』P.17より
ドラッカー氏によれば、本業を活かすための社外活動とも伝えています。
『第二の仕事』は本業に対抗するものではなく、かつ所得を得る就業である必要はありません。つまり、“生活費を稼ぐために掛け持ちで仕事をすること”でないことは明らかです。
彼は「パラレル・キャリア」と「セカンド・キャリア」をセットで語られています。
「セカンド・キャリア」とは、一昔前まで定年退職後の職業能力を表していましたが、これに限らず出産や育児後の就業、スポーツアスリートの引退後の就業、意図的な転職などの転換期以降を含め、「第二の人生における職業」能力と位置づける傾向が強くなってきました。
ドラッカー氏の著書を全て読んだわけではありませんが、この「パラレル・キャリア」と「セカンドキャリア」の考え方の根底は、「自分の人生は自由に選択ができ、その結果は自己責任(=自由意思と結果責任)」だと私は解釈しています。
『明日を支配するもの/21世紀のマネジメント革命』の中では「第二の人生を始める方法」としてさらに、『文字通り第二の人生をもつこと』と『篤志家(ソーシャル・アントレプレナー=社会奉仕・慈善事業などを熱心に実行・支援する人)』をあげています。
<参考>
内閣府の男女共同参画局のサイトでは『パラレルキャリアのすすめ』があります。なぜか『男性にとっての〜』とあるのが意味深いですが‥‥。
つまり彼の主張は、昨今の「デュアルキャリア」推進活動に影響を与えている可能性は少なくないと考えています。
その「デュアルキャリア」についてです。
2012年に公表されたEU(=欧州連合)の専門グループ(Education & Training in Sport)によるEU Guidelines on Dual Careers of Athletes*によって「デュアルキャリア」定義が示されましたが、確立に至る数年前にデュアルキャリア概念が欧州に漂っているようです。
「長い人生の一部である競技生活の始まりから終わりまでを学業や仕事、その他人生それぞれの段階で占める重要な出来事やそれに伴う欲求とうまく組み合わせていくことである」と定義された後、具体的な施策・活動が行われているようですが、実際活動している個人や団体の情報をみると、“アスリート生活と仕事・学業”の両立の考え方を主軸としている感が強いです。
<参考>
Google検索(2020年2月24日時点)にて、「パラレルキャリア」の検索ヒット数は“284万件”、「デュアルキャリア」の検索ヒット数は“791万件”。「parallel career」は“18億3,000万件”、「dual career」は“5億7,400万件”でした。
助走が大切
「デュアルキャリア」に関してのヒントとして、日本スポーツ振興センターによる「デュアルキャリアに関する調査研究・報告書(平成26.1.31)」の中で、『アスリートは、その生涯の中のある一定期間、「人としてのキャリア形成」と「アスリートとしてのキャリア形成」の両方を同時に取り組むことになる』(P.20)とあり、さらに『アスリートを、一人の人間として捉え、彼らのキャリア形成や自己実現、さらには生涯における幸福・心身の健康を「デュアルキャリア」の価値基準としている』(P.21)とあります。
“人として幸せになるためのキャリア形成”と捉えるならば、アスリートの競技生活と並行で実践する仕事・学業は方法論の一つであり、“人の生涯”ならば、一人ひとり違った「デュアルキャリア」が多様的に実行されていくことになります。
このことを踏まえた時、トップアスリートを含めた競技者(スポーツをする人)が国内に何十万〜何百万人といるのならば、「デュアルキャリア」を推進する上で多くの人の協力・支援が必要になってきます。
これまでの事実をみると、アスリートの引退後、成功した方は一握りで、競技以外での自己実現に達していない、あるいは自身の自己願望が見えていない多くの方々がいることは否めません。
アスリートとして成功した人でさえも生活保護を受けたり、仕事で苦労したりする方もいます。
稀に、当時の栄光を自らの手で壊すかのように麻薬や闇ギャンブル、暴行や性犯罪などの行為へ進む元アスリートもいます。
課題はその行為そのものより、社会との関わり合い方や周囲の人の選別なのかもしれませんが‥‥。
古今東西、大きなゴール・目標を掲げた競技者たちの中で、成功していない人が大半であることを踏まえ、競技生活とその他の生活を常に同時に考え、行動していくことが必要だと考えるのは、自然な成り行きではないでしょうか。
第二の人生をもつには、ひとつだけ条件がある。本格的に踏み切るはるか前から、助走していなければならない。
『明日を支配するもの』P.229より
ドラッカー氏の言う『助走』のタイミングは、人それぞれです。
ただ先ほど紹介した欧州の文献にしても学術的観点からしても、子ども(10歳前後)の頃から「デュアルキャリア」がスタートするなら、それ以前から助走していくことがポイントになりそうです。
と言っても、成人だから諦めることはなく、今後の思考と行動によって自らの未来が変わることは、誰もが理解できることでしょう。
第二の人生
ここまでの解説で、ドラッカー氏による『第二の人生』の概念と、スポーツ庁委託事業としての日本スポーツ振興センターによる「デュアルキャリア」の概念は類似していると感じる方もいるでしょうし、私もそう感じます。
そして、「アスリート生活と別のビジネス生活」のダブルワーク的な方策は、ドラッカー氏の「パラレル・キャリア」と概念化することもできます。
つまり、「デュアルキャリア」を行う目的を達成するための一つの方策として、「パラレル・キャリア」があると考えて良いのではないでしょうか。
前記したように、「デュアルキャリア」は構造的であり、「パラレル・キャリア」は構成的です。
どちらが優先なのか、という議論は無意味な気がしており、個人の今の価値観が取り組み方に影響していくことは間違いありません。例えば『人生において、何(What)をしたいのか?』と『人生の目的(Why)は何か?』の応え得る内容で変わるからです。
どちらにしても、アスリート個人の未来の「キャリア」に対して危惧されていることから、国・行政や団体の考え方、施策などが確立されようとしているのは事実です。
もともと欧州や南米では、これらに抵抗なき国柄、民族だと捉えています。
子供の時から「お金を稼ぐこと」も学び、サラリーマンは家族との時間を優先し、アスリートは同時期に事業の代表や役員を務めたりしていることは、大いにしてあることです。そのような“ベースとなる教え”のない日本の教育環境で育った日本人は、大人になってから価値観を変えるほどの体験がない限り、思考や行動に大きな変化は起こせないのが現状です。
『選手は競技に専念する』というマインドは協会などの団体、クラブ、そして個人にも根付いており、変革は相当な時間とエネルギーが必要と認識しています。
出来ることから始めるしかない、のです。
まとめ
アスリートの方に限らず指導者やスポーツ関係者も同様で、「デュアルキャリア」「パラレル・キャリア」の共通して言えることは、個人の主体性、能動性によるもの。
つまり、『自分の道は自分で決める』です。
スポーツを始めたばかりの子ども達、真剣に取り組む選手達にとって、この『自分の道は自分で決める』ことに対する周囲の指導者や関係者、保護者の影響は大きいと言えます。
日本スポーツ振興センターによる報告書にもその旨は記載されており、アスリートを取り巻く環境の重大さを示唆しています。
私がスポーツコミュニケーション×キャリアコーチングを行う理由は、アスリートのみならず、指導者・保護者に対して理解と協力をしていただくために、活動しています。
「デュアルキャリア」はトップアスリートのためのことではなく、スポーツをする子ども達にも意識付けしていくポイントになるからです。そして、指導者にとっても、関係者にとっても‥‥。
そのために当サイトで発信しているわけです。
子ども達にはまだ難しいかもしれませんが、ビジョン・目的・使命・ゴールと言われる核となる要素を明確にしていくことが、これからのキャリアを主体的に身につけていくことができる、と考えています。
●私には今の競技生活しかない。
●複数のことを同時に行うほど私は器用ではない。
●私にはそんな余裕がない。(金銭的、時間的、体力的など)
上記にようなマインドを備えている方、あるいは『その時に考えればいい』‥‥アスリートを引退した後、競技生活を終えた後に考えれば済む、と考えている方は少なくありません。
ただ実際にアスリートとして活躍した方々の引退後の話、あるいは結果活躍できず競技生活を終えた方々の話に耳を傾けることは、無駄ではないはずです。